STORY
蛇尾 2
わたしは分析を試みる。いったい、わたしの砂漠とはなんなのか。わたしの独房とはなんなのか。もちろん、それらは修辞である。実際の砂漠へ行ったこともなければ、独房を見たこともない。にもかかわらず、わたしはやはりそうとしか表現することができない。他に説明する言葉がないのだ。わたしは限界を感じる。わたしの言葉は誰にも届かないし、また、他の声も、わたしには届かない。これも、外界とわたしを隔てる、ひとつの独房なのである。また、わたしは、この世界において、なにをするべきなのか、まったくわからない。いったい、人生における、わたしの役割とはなんなのか。もし、わたしの役割が、茫然自失、混乱して、なすすべもなく、右往左往している、というだけのことだとしたら、確かに、わたしは役割を果たしていることになるだろう。それも完全無欠に。しかし、それは流刑に等しい役割であり、世界と人生から完全に隔離されている。そもそも、決められた役割、演じるべき脚本、などといったものが、準備されているのか、そのことさえわかりはしないのだ。結局、わたしは、あれかこれか、定まらない方位磁石のように、砂漠で迷い続けるしかないのである。
わたしはいろいろなことを考え、また感じるが、それらすべてを説明することができない。わたし自身わかっていないのはもちろんのこと、あらゆることが非常に感覚的なのだ。だから、わたしの胸を冷たい風が吹き抜ける、などと書くとき、それはそれ以上でもそれ以下でもなく、まさにそれそのものであるか、あるいは、修辞なのであって、他に説明のしようがない。この、曖昧である、という点もまた、砂漠なのだ。わたしの砂漠は、ただなにもない、というだけの、非常に単純なものであると同時に、相変わらず、わたしにはわからない多くのものが埋もれているのである。とはいえ、それらを掘り起こすためにこんなことを書いているわけでもないのだ。わたしには本当になにもわからない。わたしはなにがしたいのか、わたしはなにをしているのか、わたしはなんなのか、そもそも、わたしはなにがわからないのか。わたしは、けだもの以下の、精神錯乱、迷える羊、自我の喪失、はるかに、それ以下の状態なのであって、そしてこのこともまた、わたしの砂漠なのである。
書く、ということに、意味を求めると、すぐに砂漠が現れて、すべてを否定してしまう。書くことはおろか、どんな行為も、砂漠の地平線を追いかけるのに等しい、と。もちろん、砂漠の地平線に終わりなどなく、それはどこまでも逃げていく。それにもかかわらず、わたしは、意味が欲しいのである。まったくこの砂漠は虚しすぎる。実のところ、わたしはすでにほとんど諦めているのだ。わたしは砂漠で果てるだろうし、砂漠はわたしを飲み込んでしまうだろう。そんなことは物心ついて以来わかっていたことだし、いまさらどうこうしようというわけでもなく、ただ、わたしは、この砂漠があまりに虚しすぎるので、むしろ慈悲ある刑死を願ってやまないのである。なぜなら、わたしは囚人なのだから。独房にいるのは、刑の執行を待ってのことではないのか。それとも、これは、無期懲役、わたしのもっとも恐れる、永遠の罰、決して終わることのない、まったく同じ独房の毎日、目がかすんでくるまで、ただ砂漠の地平線を眺め続ける、そんなものだとしたら、そう考えると、まったくうんざりするのである。なにか、誰かの悪意をすら感じるのだ。
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